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足るを知る・・・・・ 森田光コ

この小紙の第一号は、一九九一年(平成三)十二月一日発行でした。今回で五十号を迎えました。

これも会員皆様のお陰です。ありがとうございます。これからも初心を忘れず、皆様のご期待に添うべく頑張ってまいります。今までと同様のご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。

この八年間、会社の業績は順調に推移してきました。なんだか順調すぎて気味が悪いくらいです。苦しい時代を、私と一緒に過ごして来た古手の社員も、同じ考えではないでしょうか。

とにかく「油断は禁物」。これを合言葉に、より良い製品づくりと、少しでも売価を安くできるように努力をしています。
雑誌などの取材で「十七年間の赤字経営をよく辛抱しましたね」とか「途中で止めようと思いませんでしたか」と言われます。でも私自身は苦労したとか途中で投げ出そうとか思ったことは一度もありません。

上質な無添加石けんを世の中に広めるのが自分に課せられた使命だと信じ、良い物はきっと売れるようになる、その夢に支えられてきました。


孔子(こうし)は弟子の顔回(がんかい)を評して次のように述べています。
「一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に存(あ)り」。(顔回はまったくえらい男だ。食事はいつも一膳の飯と一杯の汁。住まいは路地裏のあばら屋。なみの人間なら音(ね)をあげそうな貧乏暮らしなのに、生き方が微動だもしない。えらいものだ)

顔回は、不幸にして若くして死んだが、私は現在六十八歳。
人間は誰でも持って生まれた寿命によって生きていますが、本当の生きる目的を知らずにいる人が多い。事が成就するか、しないかは二の次である。知るべきものを知らずにいるのは、自ら宝を捨てているようなものです。


私も赤字続きのため、質素な生活を余儀なくしましたが、顔回ほどではありません。 大根おろしにチリメン雑魚(じゃこ)、小さなメザシと豆腐で晩酌。こんな生活をしていましたから、不便や苦痛なんてとんでもない。
ただ、ある人から「金のないのは、首がないのと同じだ」と言われたときは、悔しかった。しかし私はこの間に「足(た)るを知る」ことを悟ったのです。

足るを知るとは、心の問題です。分相応(ぶんそうおう)をわきまえることでしょうか。人間の欲望には限りがありません。 足るを知る者は貧しくても心は富み、足るを知らない者は富貴であっても心が貧しい。

余裕があるというのは、財貨が多いからではなく、欲望を控えているからです。
物に使われて生きている人は欲望を制御できません。反対に物を使って生きている人は、欲望を控えることができます。 中国の古典、老子(ろうし)にこう書いています。「禍の原因は、足るを知らないことほど大きなものはない。咎(とが)めは得ることばかりの欲を出すことが一番大きい。だから足ることを知って、足る者は常に満足している」と。

昔、楚(そ)の国で弓を失くした人がいた。しかし彼は探そうとはしなかった。理由を聞くと「楚の人間が弓を失くし、楚の人間が拾う。いったいどうして探すことがあろうか」。孔子がそれを耳にして「楚の字を省(はぶ)けばもっと良いのだが」と言った。老子はそれを聞いて「人の字を省けばもっと良い」と。 弓は狩猟や戦争に必要な道具だが、これを食料に置き換えたら分かりやすい。老子の言葉に共生の心を感じるのです。

※孔子
中国、春秋時代の学者・思想家。儒家の祖。
その言行録が「論語」。(前五五二−四七九)

※老子
周代の哲学者。道家の祖。の著者を「老子」という。

シャボン玉友の会だより<NO.50>


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