時代を拓く呼子の夢甘夏ゼリー

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■ 呼子甘夏ゼリーの歴史 3

1999年1月5日(火曜日)日本農業新聞より

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時代を拓く 呼子夢甘夏ゼリー
        高い付加価値求め
        
山口めぐみさん
佐賀県呼子町・農産加工グループ代表
        
高い付加価値を求めて 農業新聞
高い付加価値を求めて 農業新聞

農家がピジネスとして農産加工を手がけ、広く販路をひらくようになったのは、そう昔のことではない。安心できる地場産物で加工した商品は、「こだわり」という付加価値がつく。佐賀県呼子町加部島の農産加エグルーブ「島ホリおこしかあちやん組」の商品は、有機栽培の甘夏の汁だけを使ったゼリー。

十年前、当時三十代だった甘夏農家の女性たちが「かあちやん組」を結成し、三人で「うんと甘い甘夏」の栽培に力を注いだ。より高い付加価値を求めた結果が、甘夏ゼリ−だったo三人のうち、主に加工とPRを担うのは、代表の山口めぐみさん。販路を広げ、売り上げを伸ぱしてきた。

◇◇◇◇

「加部島の特産もたいしたことないな」1989年4月、「呼子大橋」の開通で、東松浦半島の北端に浮かぶ加部島に観光客がどっと押し寄せた。その中の一人が甘夏を食べて言ったひとことが、かあちやん組結成の契機になった。

結成後、山口さんらは微生物発酵の有機質肥料を使った土づくり、減農薬栽培、ワックスをかけない出荷などそれまで以上に研究を重ねいろいろ試した。


だが、八○年代半ぱころから豊作や寒波で甘夏は安値が続いていた。夫の父が「単価が上がらないから木を)切ろうか」と言った。

「山口の家に養子に入って、甘夏の木を一本一本植えた人がそこまで言うのは、よっぽどのこと。何とかせんと、このままじゃいかんと思った」。

主に農業を担っていた自分が、続いてきた甘夏作りを絶やすわけにはいかなかった。何とか付加価値をつけて高く売る方法はないか。それには加工しかなかった。

そのころ、唐津市内にある洋菓子屋でゼリーの作り方の指導を受ける機会が訪れる。試作と失敗を重ね「製品としてやっていける」と思った。九○年、山口さんは洋菓子製造の許可を取り、自宅の車庫を加工場に改造した。

同じ年に島内にある土産店で販売を開始。新聞広告の枠を買い、「社交的でない」という山口さんが、家族の協力のもと、県のイベントなど外へ積極的に出て行った。全国への宅配も始めた。

◇◇◇◇

栽培からこだわり、砂糖や保存料も使わない「無添加」に消費者は敏感だった。「子供がほかのゼリーに手をつけない」という声を寄せる人もいた。一個三百五十円という値段は、人件費、材料費を考えると「決して高くない」という。だが、市販のものと比べると高い。山口さんの不安をよそに、ロコミで固定客がついていった。

九四年には、加工場に店舗「甘夏かあちやん」を併設。翌年から明太子の老舗「ふくや」のカタログ(六十万部発行)に掲載されてからはさらに顧客数を伸ぱし、年間総売上高は三千万円に達した。

「こんなにしてまで農業せんといかんのか」「これだけ投資したのだから、途中でやめられん」。その思いが交互に訪れ、十年がたった。いまは忙しくなり、畑に出る時間はほとんどない。だが、「加工も農業のひとつ」と山口さんはいう。栽培は夫の父、有機質肥料などでの土づくりは夫が担当する。

今年から甘夏のもぎとりと、ゼリーの加工体験を始める計画だ。


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甘夏ゼリーの呼子甘夏かあちゃん
佐賀県唐津市呼子町加部島の甘夏かあちゃん