4 無添加石けんの発見
合成洗剤は体に悪い。環境にも悪い。いくら利益が出るからといって、こういう物を売ってはいけない。その点、無添加の石けんは、体にも環境にもやさしい。今後、これに全部切り替えようと決心しました。
当時、社員が六十八人いたんですが、社長、何を言い出すんですか、試供品をスーパーや問屋に配っても、こんな品物は売れない、といって、どこも相手にしなかったじやないですか、と言います。私の母は、そのころまだ生きていたのですが、母親に無添加の粉石けんや固型石けんを渡すと、これはいい。肌着も洗ったあとが、ふかふかしている感じ。そして、ところどころ出ていた湿疹もよくなったと喜び、ズーッと使っていたんです。
その母親でさえ、会社にどなり込んで来て「おまえ、洗剤を止めて、売れない石けんを作るって本当かい」というのです。「本当です。今まで売っていたのは、体に悪く、生き物を殺し、田んぼに流せば稲が枯れる。ああいうものは売っちやあいかん」と、私は反論したんです。「おまえは会社を潰(つぶ)す気か」と、ひどいけんまくでしたが、私も一回決めたら、てこでも動きません。もう決めてしまった。どうしようもない、ということでふみきった訳です。それは昭和四十九年のことでした。湿疹が治ったと確信してから、丸三年間は、どうするか、こうするかということで左右に揺れ動いていたんです。
私の予想どおり売り上げが今までの一%。十%、一割じやないんですよ。落ち込んでしまいました。朝、会社へ出ますと、いつも二、三人ずつ、白い封筒で退職願です。今のうちなら規定どおりの退職金がもらえます。だが、ズルズルして、おったら、この会社、潰(つぶ)れるぞ、とみんなそう思ってどんどんやめていきました。一番ひどいときは、私を含めて五人になってしまいました。
これでは仕事になりませんでした。経営からいったら、その時点で倒産なんです。けれど、幸(さいわ)い、それまでの貯(たくわ)えがあったこと、それと、もうひとつは、生き延びさえすれば、わが社の石けんの良さは誰かが認めてくれるはずだ、とにかく会社を潰(つぶ)さないことが一番だ、ということで、そのために、それまで手形で支払っていたのを、全部、現金支払いに変えました。
もちろん、その資金は銀行さんが貸してくれました。ですからそれ以降は、資金繰りが悪いときは、小口の方は現金で支払いましたが、大口には「すみません入金が遅れましたので」と、言い訳しました。遅れたんではないのです。売り上げがないので入金がない。それで、あと半月待ってくれと頼んだんです。今までの取り引きが長いので、原料屋さんにしろ無理を言えばそれを聞いてくれましたから、倒産しないで今日があるわけです。
今までは合成洗剤を作ったり、売ったりしてきた社員で構成してきましたが、これからは新しい社員を入れて、無添加の石けんを、自分たちが作り自分たちで売るんだ、という気概(きがい)の人間を集めなくてはと思い、新卒の大学生や女性を入れました。そのうちに、以前から残っていた四名も全部やめてしまいました。現在は九十八名になっています。
無公害の石けんを作るんだ、売るんだ、そういう説明を聞いて、やりましょう、と共感して入ってきた人ばかりですから、今日(こんにち)では二十年が経過して、それらの人は幹部になっています。今から思えば、あの時点で、続けて合成洗剤を売っていましたら、花王とかライオンとかの大手の独占化が進んでいますから、私どもの経営は不振な状態で、廃業か、転業せざるを得なかったんじやないかと思います。
こうして、みんなが反対しても「虚仮(こけ)の一念」といいますか、悪いものは作るな、売るな。社会のためにいいものを広めるんだ。健康な体とキレイな水を守る、ということをモットーに今日までやってきました。
やはり生きている、ということはですね、ただ飯を食って、寝てということで生きておっても本当の生きがいにはならないと思うのです。何を選んで生きるか。こういう、えらそうなことを言ってはいけないのですが、何を選ぶかということは、何を捨てるか、ということになると思うんです。私は、全部捨てて、かかったから、もう後がない、前に進むしかなかったんです。
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